スピルバーグとトム・ハンクスが構想・製作した超大作TVドラマ
『バンド・オブ・ブラザース』は、第二次大戦のヨーロッパ戦史に新たな1ページを記した、2001年ゴールデングローブ賞最優秀作品賞(TVドラマ&ミニシリーズ部門)に輝く超大作。原作は1992年に出版された歴史家スティーヴン・アンブローズの同名のベストセラー・ノンフィクション。
映像化の発端は、スティーヴン・スピルバーグとトム・ハンクスがアンブローズの別々の作品の映画化を思い描いていたことにはじまる。
ハンクスは映画「プライベート・ライアン」の役作りの際、「バンド・オブ・ブラザース」と出会った。第二次大戦のヒーローたちに関して、まだ語るべき物語はあると思った彼は、すぐにこの作品の映像化を企画。
一方のスピルバーグは、「プライベ―ト・ライアン」で扱った先人たちの戦いをさらに掘り下げてみたいと思い、同じアンブローズの著書、「シチズン・ソルジャーズ」の映像化を構想していた。しかし、ハンクスに「バンド・オブ・ブラザース」の方がより物語を構成する力を持っていると説得された。
2人は、真実を語るには映画の尺では短すぎると判断。10時間にも及ぶドラマシリーズを構想し、米国の大手ケーブルテレビ会社HBOと共同製作することに。こうして、TV史上空前の超大作ドラマ『バンド・オブ・ブラザース』が完成した。
ストーリー
物語は、第二次世界大戦下の3年間、1942年から1945年の、米陸軍101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊のなかのエリート部隊、「E中隊」の苛烈な戦いのプロセスや、兵士たちの人間模様を軸に展開し、1話ごとに「主役」を置いて、彼らの苦悩と犠牲、そして勇気を克明に描いていく。
ジョージア州米軍トコア基地の新兵訓練から、Dデー前夜のノルマンディの降下、オランダでの「マーケット・ガーデン作戦」、ドイツの最後の反撃「バルジの戦い」、ベルヒテスガーデンの攻略、さらにダッハウのユダヤ人強制収容所、そして終戦間際のヒトラーの山岳の隠れ家「イーグルズ・ネスト」(鷲の巣)の占拠と、E中隊の転戦の跡を追う。
ノルマンディ上陸作戦と欧州戦線
第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)は、1939年9月、ドイツ軍のポーランド侵略からはじまった。1940年6月ドイツ軍がパリに入り、フランスの3分の2を占領。中立を宣言していた米国は1941年12月7日、真珠湾攻撃を機に日本に宣戦布告。翌8日にイタリアとドイツにも宣戦布告した。米国は英国とともに、1942年11月8日北アフリカに、1943年9月9日イタリアに侵略した。
米国は英仏ら連合軍の一員として、フランスの海岸線ノルマンディから上陸し、ドイツ軍占領下のフランスに侵攻する「オーヴァーロード作戦」を練った。1944年6月6日、「Dデー」と呼ばれた決戦決行の日、ドワイト・アイゼンハワー米陸軍大将の指揮下で、ついに北フランスのノルマンディ半島に上陸。投入した兵員は17万5000人。この作戦は成功で戦局は大きく連合軍有利に傾き、ナチス・ドイツ崩壊が始まった。
原作
原作は歴史家で作家のスティーヴン・E・アンブローズ。映画「プライベート・ライアン」ではコンサルタントも務めた。本書を書くきっかけになったのは、1988年秋、彼がニューオリンズで軍隊の同窓会に列席し、E中隊の隊員にDデー体験についてインタビューしたこと。E中隊の伍長ウォーター・ゴードンは、アンブローズのインタビュー原稿を、ほかの連隊の復員軍人に回覧したが、それを読んだひとりが連帯指揮官のリチャード・ウィンターズだった。記述の食い違いを見つけたウィンターズは、昔の隊員を伴い、アンブローズと会う。彼らがDデーの記憶をたどり、アンブローズは彼らの話をさらに書きとめた。翌年、アンブローズはE中隊の30人余りの隊員にインタビューを開始。ウィンターズとゴードンのチェックを受けて、1992年に本書を刊行しベストセラーとなる。日本語翻訳版、『バンド・オブ・ブラザース 男たちの深い絆』は並木書房より2002年5月出版予定。
E中隊とは
米国陸軍は、1942年7月1日、実験的にパラシュート部隊を編成。第506パラシュート歩兵部隊が誕生した。第506パラシュート歩兵連隊は、第1大隊から第3大隊まで、3大隊から成り、第1大隊(A、B、Cの中隊)、第2大隊(D、E、Fの中隊)、第3大隊(G、H、Iの中隊)と全9中隊で構成されていた。そのひとつが「イージー・カンパニー」ことE中隊で、志願兵によって結成されたエリート部隊だった。
ジョージア州トコア基地で「カラヒー・マウンテン」に登り肉体教練後、1942年11月からフォート・ベニングでパラシュート訓練を開始。1943年6月1日、第101空挺師団に合流。その後、1945年11月30日まで第二次大戦に従軍した。
第506パラシュート歩兵連隊員は、第二次大戦終了の1945年までに670人が戦死。内訳は、ノルマンディで231人、オランダで176人、バストーニュで103人等。3つの戦いで行方不明、または捕虜になったのは344人。負傷者は1559人上った(第506パラシュート歩兵部隊協会「カラヒー・ホームページ」参照)。
(情報提供:WOWOW)



