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米歌手トニー・ベネット、 アルツハイマー闘病の末96歳で亡くなる レディー・ガガとも親交を深めていた

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トニー・ベネット

アメリカの伝説的歌手、トニー・ベネットが7月21日に亡くなった。享年96歳。

ベネットは誕生日の2週間前に故郷のニューヨークで死去したと、彼の広報担当者であるシルヴィア・ワイナーが明かした。死因は明らかになっていない。

シルヴィアはPage Sixに対し「トニーは今日、私たちのもとを去りましたが、先日もピアノに向かって歌っていました」「トニー、あなたのおかげで、私たちは永遠にあなたの歌を心に刻んでいます」とコメントした。

ベネットは2016年にアルツハイマー病と診断されていた。彼の妻であるスーザンは、2021年にAARPマガジンに「彼はもう昔のトニーではないから……でも、彼が歌えば昔のトニーになるの」とコメントしていた。

また、レディー・ガガはベネットと2011年に出会い、親交を深め、コラボレーターでもあった。コラボレーション・アルバム『ラヴ・フォー・セール』は二人で作った最後のジャズ・アルバムとなった。ガガの右の二の腕にあるトランペットのタトゥーは、画家でもあるベネットがガガのために描いたものだという。

数十年にわたるキャリアの中で、ベネットは70枚以上のアルバムをリリースし、世界中で5,000万枚以上のレコードを売り上げ、20のグラミー賞と2つのエミー賞を受賞した。また、95歳と60日で新曲のアルバムをリリースした最高齢者としてギネス世界記録を更新した。

彼は 「I Left My Heart in San Francisco」、「Fly Me to the Moon」、「Steppin’ Out With My Baby 」を含む多くのヒット曲で知られている。

本名アンソニー・ドミニク・ベネデットは1926年8月3日、クイーンズ区ロングアイランド・シティのセント・ジョンズ病院で生まれた。ビング・クロスビー、ジュディ・ガーランド、ルイ・アームストロングといったアーティストの歌を聴いて育ったベネットは、早くから音楽への愛を見出した。10歳のとき、トライボロー橋の開通式でフィオレロ・ラ・ガーディア市長のそばで演奏。そして13歳の頃には、クイーンズの近所のイタリアン・レストランでウェイターとしてお金を稼ぐために歌っていた。1944年11月、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍に徴兵されるまで、街中でアマチュアのライブを続けたという。

終戦時には、ドイツのランツベルク近郊のナチス強制収容所の解放に携わった。戦後、彼は音楽の道に戻り、1949年、パール・ベイリーに見いだされ、グリニッジ・ヴィレッジで彼女の前座を務めることになった。そこからベネットは「Boulevard of Broken Dreams」のデモを録音し、1950年にコロンビア・レコードと契約した。 

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