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【大解剖】クリストファー・ノーラン監督の映画にはすべて「つながり」がある!? 最新作『オッペンハイマー』を含む12作品を、「問い」を軸に改めて考察

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3月29日(金)、映画『オッペンハイマー』が日本公開となった。今作はクリストファー・ノーラン監督の長編映画12作目。そして、ノーラン監督がついにアカデミー監督賞を受賞した作品でもある。

そんなクリストファー・ノーラン監督が、先日NHKで放送された「クローズアップ現代」でのインタビューで、興味深い発言をしていた。監督は各作品で「問い」に向き合っているが、作品の中でまた新たに「問い」が生まれることがあり、それに次回以降の映画で向き合うことがあるというのだ。

この記事では、歴代のノーラン監督作品を分析。もしかしたら各作品はこのような「問い」でつながっているのかもしれない、という仮説を考察してみた。

この記事と同内容について、このコラムの筆者(ヨダセア)が運営するYouTubeチャンネルにおいても語っているため、動画の方が観やすいという方は以下の動画をご参照いただきたい。

クリストファー・ノーラン作品を読み解くための5つのキーワード

まず本題に入る前に、クリストファー・ノーラン監督の作品を観る際にこれを意識すると読み解きやすい、という5つのキーワードをここで紹介。

1. 使命感・アイデンティティとの戦い

監督作品では、「自分がやらなければならない」という強い使命感を持つ人物がよく登場する。それが正しいかどうかより、“自分の一度信じたものを成し遂げなければ気が済まない”という狂気の側面も強い。そしてそれは自己実現・アイデンティティの保持につながっている。自分自身を保つために使命を自分に課している人物が描かれることが多いのだ。

自身を主人公だと自負し、「自分が何かしなければ」と(根拠のない場合もある)使命感を確固として信じているタイプの主人公の物語。『フォロウィング』『メメント』『プレステージ』「ダークナイト三部作」『TENET テネット』…そして最新作『オッペンハイマー』でもこれが問いの起点といえる。

2. 強迫観念・人並み外れた執着心

上記の“使命感”にもつながるが、ノーラン作品では「こうでないと気が済まない」という強い執着心、強迫観念が描かれることも多い。しかしその執着の対象は必ずしも使命感・アイデンティティが対象ではない。

余計な興味に取り憑かれた『フォロウィング』。復讐に取り憑かれた『メメント』。保身に取り憑かれた『インソムニア』。ヒーロー像に取り憑かれた「ダークナイト三部作」。名誉と勝利に取り憑かれた『プレステージ』。そして過去に取り憑かれた『インセプション』など、初期の短編作品「doodlebug」も含めて執着心の強さが招く面倒事を描く作品ばかり。『オッペンハイマー』でもそれは共通している。オッペンハイマーの科学者としての執着心がなければ、歴史はどうなっていたのだろうか…。

3. 「信じたい現実」と「真実」の対比

自分や人々が信じたい・または見ていたい現実が、果たして本当に真実なのか。信じたいものと真実、どちらが本当に大切なのか。それを問いかけるノーラン作品には多い。

ことの真相が気になって自分が作ったルールを逸脱してしまう『フォロウィング』。信じたい仮説のために真実を無視してしまう『メメント』。自身の罪を表に出さずに抱える『インソムニア』や『プレステージ』。民衆の誘導のために真実を隠すところに「ダークヒーロー」性を持たせる『ダークナイト』。もはや現実を書き換えてしまう『インセプション』。そして自身の存在が起こしたことと、それによる影響を見てどこまでが「責任」か問いかける『オッペンハイマー』。

4. トリッキーな時系列・時間の旅

ノーランは時間や時系列をトリッキーに操ることでも有名。ラストシーンを一度序盤に持ってきたり、時間をさかのぼったりと、時系列を自由自在に並び替えることが独特の前提や伏線回収の爽快感を生み出すと同時に、それが“難解な作風”につながることも多い印象だ。

時系列が逆に進んでいくパートが主軸になる『メメント』。時間が逆回りになって来た道を戻ったりする『TENET』。終盤を一度見せて、そこまでの道を見せる『インセプション』や『プレステージ』。もはや時空を超えてしまう『インターステラー』。ほかに『フォロウィング』『ダンケルク』『オッペンハイマー』も、ただ時系列で出来事を並べるだけの作品ではない。

5. “問い”の持ち越し

そして5つ目のキーワードは、冒頭に記した“「問い」の持ち越し”。ここからは、歴代各作品の簡単な紹介とともに、どのような問いを持ち越し、その問いにどう向き合っているのかを分析していきたいと思う。


最新作『オッペンハイマー』のレビューはこちら


※内容を分析するため、各作品のネタバレになる部分があることはご了承ください。

『フォロウィング』(1998)

ノーラン長編デビュー作。ルールを決めて「何の気なしにランダムな相手を」尾行する主人公が変化していく様を通して、「人間が絡むことに、私情を挟まない『ただの作業』など実行できるのか」と問いかけてくる。

引き継がれる問い

物事に執着するのが、自分や大切な人のためなら?

今作では自身に関係のない余計なことに主人公が執着してトラブルになるが、では執着するのが、自分自身や大切な人のためならどうか。という問いは、『メメント』につながるのではないか。

後を引くロマンスのもつれは、人をどう変える?

今作では深入りしてはならないはずの関係にロマンスまで介入してくる。切れないロマンスのもつれへの対処という課題は、『インセプション』への系譜といえる。さらに今作には、『インセプション』の主人公と同じ「コブ」という登場人物が登場するのだ。

『メメント』(2000)

ノーラン監督2作目にして大出世作。短い記憶しか保持できない男性が、自身の妻を強姦し殺害した犯人に復讐を果たすためにひたすら情報を集めていく様子を、時系列逆向きに進んでいくシーンをメインに構成した、複雑ながら面白い1作だ。

過去作から持ち越した問い

物事に執着するのが、自分や大切な人のためなら?(『フォロウィング』より)

自分や身近な人のために物事に執着すれば、人はさらに現実が見えなくなる。そして、情報を改ざんしたり、記憶を書き換えたりしてでも、人は信じたい現実に近づけようとしてしまう。『メメント』ではそんな人間の脆さが示されている。

引き継がれる問い

逆に、自分だけが忘れられない罪があったら?

今作では記憶をどんどん忘れてしまうが、逆に自分が犯した罪を忘れられなかった人はどうなるのか。それが次回作『インソムニア』で描かれている。

構成ではなく実際に人間が時間をさかのぼれたら?

時系列順にシーンがさかのぼってくる『メメント』。ノーランは、本当に人間が時間を逆向きに進んだら?というコンセプトを『TENET テネット』で採用している。

『インソムニア』(2002)

アル・パチーノ主演。主人公の警察が、森の中で犯人を追跡中に、霧で視界が悪い中で大きなミスをしてしまう。ミスを隠してそのまま過ごすが、自分が知るその罪は彼を追い詰め、彼は白夜の土地で不眠症(インソムニア)になってしまう。

過去作から持ち越した問い

自分だけが忘れられない罪があったら?(『メメント』より)

結局これも『メメント』と同じ。人間は情報を改ざんし、正当化し、自分の都合の良い現実に書き換えようとしてしまう。しかし、記憶が残った場合はその罪の意識も簡単には消えず、苦しむのは自分自身だ。

引き継がれる問い

“正義の執行者”たる線引きはどこにある?

警察がずっと罪を隠す。そんな『インソムニア』を経て、正義・悪の境界線はどこだろう、と考えさせられる。それは「ダークヒーロー」を描く『バットマン ビギンズ』以降の作品で描かれるテーマとも言える。

外に見えない罪は、そのまま葬ってもいいのか?

『インソムニア』で、外に出ることなく葬られていった罪。果たして、目に見えないところでは何が行われてもいいのか。その問いかけは、『プレステージ』へと続く。

『バットマン ビギンズ』(2005)

ノーラン監督が新たなバットマン物語を構築した「ダークナイト三部作」の1作目。幼くして両親を失った過去を持つ大富豪のブルース・ウェインが、いかにしてゴッサムシティに暗躍するダークヒーローになっていくのかが描かれる。バットマン役はクリスチャン・ベール。

過去作から持ち越した問い

“正義の執行者”たる線引きはどこにある?(『インソムニア』より)

結局のところ、正義・悪などという簡単な表現で人を定義するのは難しい。しかし、悪・無秩序を許さず、自身の信念を貫こうとする人によって、ある程度の秩序が守られているというのは紛れもない事実であることが今作で示されている。

引き継がれる問い

目立った正義が、真の悪を生み出してしまったら?

では、強い正義漢が目立つことで、本物の悪が現れてしまったらどうなるのか。それは『ダークナイト』でのバットマンとジョーカーの駆け引きで描かれることになる。

落ちても“上がればいい”で本当に済むのか?

今作で印象的なのは、「落ちても上がればいい」というコンセプト。でも、誰もが落ちてから上がれるわけではない。その例が『プレステージ』で示されていると考えられる。

『プレステージ』(2006)

ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールが、承認欲求と闘争心に満ちたマジシャンたちの戦いを演じる。恨みが恨みを、妬みが妬みを生む泥沼の争いの中、マジックを楽しむ観客には見えない「隠れた舞台裏」にとんでもない闇が広がっていく。

過去作から持ち越した問い

外に見えない罪は、そのまま葬ってもいいのか?(『インソムニア』より)

もし外面だけで人を判断する価値観ばかりが蔓延すれば、隠された真実がどれだけ汚く非倫理的でも問題なくなってしまう。建前を追い求め、本質的な幸せや大切な人を犠牲にした先に、理想の未来があるはずもない。

落ちても“上がればいい”で本当に済むのか?(『バットマン ビギンズ』より)

今作の登場人物が“上がれている”描写はない。落ちては犠牲になり、落ちては不幸を募らせるという場合もあるのだ。「後でどうにかなる」と闇の道を行き続ければ、落ち続けてただすべて誤ってしまうこともあると心得るべきだということが今作では示されているのではないか。

引き継がれる問い

目立つ存在でも、自分自身の大切な人を守れるか?

では、パフォーマーやスーパーヒーローのように目立つ人物でも、本当に大切な人を守れるのだろうか。それは『ダークナイト』で描かれていると考えられる。

目に映る世界を完全に操れてしまったらどうなる?

そして、人に見せる現実を巧みに操ったプレステージ。それに対して、では目に映る世界を丸ごと操れたら?というコンセプトが、『インセプション』で具現化される。

『ダークナイト』(2008)

「ダークナイト」三部作の2作目。純粋なる悪を体現する「ジョーカー」を演じたヒース・レジャーは、ジョーカー役に深く浸ったのちに死去。彼はこの世を去った後に、アカデミー助演男優賞を受賞した。巨大なトレーラーを本当にひっくり返すといったカーアクションも話題に。

過去作から持ち越した問い

目立った正義が、真の悪を生み出してしまったら?(『バットマン ビギンズ』より)

真の悪は殴ったり命を奪ったりしても勝てないし、そこに「正義」は生まれない。悪魔のささやきに対抗するなら、人々が全員で善の心を見せるほかない。その「善」にシンボルを与えるために犠牲になるのが「闇の騎士(ダークナイト)」の騎士道だ。

目立つ存在でも、自分自身の大切な人を守れるか?(『プレステージ』より)

「目立つこと」と大切なものを守ることは、必ずしも両立できない。ジョーカーにもてあそばれて、ブルースは大切な人を失ってしまう。本当に大切なものを守りたいなら、名誉や地位、自身の信念を追い求めない選択肢もあるのかもしれない。

引き継がれる問い

闇に紛れたままで世を変えられるのか?

今作で「ダークナイト」になったブルースだが、果たしてそのままの立ち位置で本当に正義をもたらせるのだろうか。その続きは『ダークナイト ライジング』で描かれる。

大切な人の犠牲に取り憑かれすぎるとどうなる?

今作で大切な人を失ったブルース。大切な人を失ったことに取り憑かれすぎた人間の苦悩は、監督の次回作『インセプション』で描かれる。

『インセプション』(2010)

他人の夢の中に入ってアイデアを盗んだり、アイデアを植え付けて(inception)考えを変えようとしたりすることを目指す集団を描く圧巻のSF作品。無重力アクションのために本当に無重力に近い状態を生み出すといった荒技を敢行したノーランの撮影、意味深なラストもあってまたしも世界中で話題に。

過去作から持ち越した問い

目に映る世界を完全に操れてしまったらどうなる?(『プレステージ』より)

「(都合よく)信じる」どころか、目の前の現実世界を本当に書き換えられるようになってしまうと、もはや元の世界との境界線は消え、「現実」を生きられなくなってしまう。それが『インセプション』では描かれている。幻想を生きることは救いでもあるが、恐ろしくもある。認識の操作はほどほどに…。

大切な人の犠牲に取り憑かれすぎるとどうなる?後を引くロマンスのもつれは、人をどう変える?(『ダークナイト』『フォロウィング』より)

執着は身を滅ぼし、人をダークサイドに堕とす(「スター・ウォーズ」のジェダイの教えのように)。愛は大切だが、過去の亡霊や諦めの悪さによって現在を蝕まれるくらいなら、時には踏ん切りをつけることも大切だと今作は感じさせる。

引き継がれる問い

使命感を残して、使命が消えてしまったら?

悲しみや苦しみを紛らわせるように「使命」に向き合った人物が、突然使命を失ったら?そんな姿が『ダークナイト ライジング』のブルースに映し出される。

世界がひっくり返ってもなお、愛を貫けたなら?

愛の弊害も描かれるノーラン作品だが、逆に愛を貫く力がもたらすものは…それは『インターステラー』で描かれることだ。

『ダークナイト ライジング』(2012)

バットマンが、民衆を巻き込む破壊的な陰謀に立ち向かう。ヒース・レジャー逝去のためジョーカーのその後は描かれず。その代わりに登場したのはトム・ハーディ演じるベイン。さらにアン・ハサウェイ、マリオン・コティヤール、ジョセフ・ゴードン=レヴィットらが参加し見事な締めを飾った。

過去作から持ち越した問い

使命感を残して、使命が消えてしまったら?(『インセプション』より)

今作序盤では、世が安定していてもバットマンのアイデンティティでい続けなければならないという空っぽの使命感に狂わされているブルースが描かれている。一つの使命に執着してしまうと、それを失った時に困るかもしれない、と感じさせられる。

闇に紛れたままで世を変えられるのか?(『ダークナイト』より)

時に賢人は、世に合わせて形を変えていくもの。ダークヒーローとして悪の世に勝ちきれなかったバットマンは地上に上がって(Rise)、人々とともに戦い、光の中で決着をつける。人々にとって明確な「ヒーロー」となる姿が描かれたのだ。

引き継がれる問い

信念のもとに戦う者が、孤立無援だったら?

今作で民衆とともに戦ったバットマン。しかし、救世主になるはずの人物が孤独にひとりで戦うことになった際、どうすれば戦い抜けるのか。それは『インターステラー』へつながるテーマ。

民衆大勢の信念と協力、現実での事例は?

民衆が信念のもとに団結し、戦うのはフィクションだけの話ではない。現実での事例が、『ダンケルク』で描かれることになる。

『インターステラー』(2014)

地球が荒廃した未来。NASAと協力した科学者が人類の未来をつなぐため、宇宙への旅に出る。科学者の意見も元に描かれる広大な宇宙を舞台に、さまざまな危機が大迫力で迫るさまは圧倒的。しかし壮大な旅路とは対照的に、一番重要な部分は我々にも普遍的なメッセージになっている。

過去作から持ち越した問い

世界がひっくり返ってもなお、愛を貫けたなら?(『インセプション』より)

盲目の愛は人を滅ぼすこともある。しかしノーランは決して愛自体が悪だと描いているわけではない。強力な愛こそが人が諦めずに試練に挑めるモチベーションになることもあり、特に今作では家族・親子の愛が強力なものと描かれている。

信念のもとに戦う者が、孤立無援だったら?(『ダークナイト ライジング』より)

バットマンは最後に民衆とともに戦えたが、時に人はひとりで大きな試練に挑まなければならない。主人公クーパーを奮い立たせるものこそが、信念と愛。今作は難解なSFのように見えて、最終的には魂・根性・愛のパワーを描いたストレートな1作だ。

引き継がれる問い

生への強い思いがあれば、誰にでも奇跡は起きるか?

しかし、強い思いだけで、誰しもに奇跡が起きると言い切れるだろうか。それは実話ベースの映画『ダンケルク』で改めて描かれるといえそうだ。

人智を超えた科学の力、用途を誤ればどうなる?

今作では圧倒的な科学の力を描いたが、科学の力で用途を誤ればどうなるか。それは『オッペンハイマー』へ受け継がれることになる。

『ダンケルク』(2017)

1940年にフランス北端の町ダンケルクに追いつめられた兵士たちの救出作戦を、陸の1週間、海の1日、空の1時間という独特の時間の切り取り方で描く1作。生きるために。生かすために。決死の作戦に挑んだ人々の姿が陸・海・空に描かれる。ノーラン監督作品の中では106分とかなり短めで観やすい上映時間。

過去作から持ち越した問い

民衆大勢の信念と協力、現実での事例は?(『ダークナイト ライジング』より)

ひとりのヒーローが民衆を鼓舞する物語ではなく、それぞれがヒーローになって、心をひとつに互いを助け合う協力プレイが実際にあった。そんな歴史の1ページといえる物語を切り取ったのが『ダンケルク』だ。

生への強い思いがあれば、誰にでも奇跡は起きる?(『インターステラー』より)

信念と愛の根性論で、すべてが救われるわけではない。逆に今作のように不運な理由で命を落とす者すらいる。しかし、信念と愛の根性論のおかげで救われた命、そうでなければ救えなかった命も存在したはずだ。それを今作は改めて確認させてくれる。

引き継がれる問い

変えられなかった悲劇、もし時間を戻れたら?

では、一度起きてしまった悲劇、時間を戻れたらさらに変えられるのだろうか。そんな思いが『TENET テネット』につながったのかもしれない。

自国民同士の絆のあまり、他国を顧みなかったら?

今作では自国・味方国の美しい協力が描かれたが、では敵対国に対しての人間性は?それは『オッペンハイマー』で描かれる部分だ。

『TENET テネット』(2020)

第三次世界大戦を止めろ。世界の命運を握るのは、名前も判明しない<主人公>。ある装置に入ることで時間を逆向きに進み始めるといったことが繰り返されるため、時間が通常通りだったり逆再生のようになったりする。物語的にも映像的にも複雑な構造のため、当時「1回では理解不能」などと話題に。

過去作から持ち越した問い

構成ではなく実際に人間が時間をさかのぼれたら?(『メメント』より)

ある意味では『メメント』を超える映画の実験がここに大成。『TENET』は通常の人間と逆再生の人間が格闘したり、通常の車と逆走用に開発した車が並走したりと、ただの逆再生でない、本気で「時間の逆行」に向き合う映像作品となっている。

変えられなかった悲劇、もし時間を戻れたら?(『ダンケルク』より)

「時間をさかのぼれたらなかったことにできたかも」とは多くの人が考える妄想だが、科学的にはそう簡単ではない。時間を逆走できる人がいれば、もうそこにいるはず。「起きたことは起きた」は時間のどちらから見ても同じだという理論が今作では描かれた。

引き継がれる問い

世界の命運を握る力が、“主人公”1人に渡ると?

今作では世界の命運がひとりの“主人公”やひとりの悪役に託されてしまう。もし世界を揺るがす力がひとりに委ねられたら…というテーマは『オッペンハイマー』で明確に描かれることになる。

『オッペンハイマー』(2023)

「原爆の父」と呼ばれたロバート・オッペンハイマーが原爆を作り出すまでの経緯と、作った後の戸惑いや裁判を描くノーラン監督最新作。あくまでオッペンハイマー本人の視点であるため、本人が実際に立ち会っていない原爆投下の瞬間などは描かれていないが、本人の恐怖や焦燥感は映画的演出で巧みに表現されている。

過去作から持ち越した問い

人智を超えた科学の力、用途を誤ればどうなる?(『インターステラー』より)

科学の進歩は人々の憧れであり、実際に多くの利益も生んできたが、科学が生んだ悲劇も数知れず。その最大級の悲劇の1つが原爆投下だ。これまで憧れの科学も多数描いたノーランが、最新作で「科学の恐怖」を描いた。

世界の命運を握る力が、“主人公”1人に渡ると?(『TENET テネット』より)

『TENET』の主人公は世界を救ったが、本来そのような世界の命運を握る力が一人の人間に左右されていいのだろうか。これはオッペンハイマー本人も葛藤し続けたところであり、責任の所在はいくら考えても明白にならない。

自国民同士の絆のあまり、他国を顧みなかったら?(『ダンケルク』より)

『ダンケルク』では自分の味方の救出に人々が団結する美徳が描かれたが、では敵国に対しては…?日本も含め、戦争の歴史では敵国の人間を人間と思わないような言動や思想が目立つ。原爆投下で盛り上がる人々と、罪の意識に苛まれるオッペンハイマーのギャップは印象的だ。

『オッペンハイマー』から引き継がれる問いは…?

では、今後に引き継がれるのはどのような「問い」だろうか。明確にわかるのはやはり次回以降の作品が世に出てからだが、予想するとすれば、ノーラン監督が「ホラー映画を作りたい」と発言していることがヒントになりそうだ。

『オッペンハイマー』からホラー映画に託すテーマであれば、たとえば【自身の生み出したものが恐怖の塊だったら?】【何かを生み出すということすべてに怯えたら?】といった形になるだろうか。とすれば、デヴィッド・リンチ監督のカルト的名作『イレイザーヘッド』のようなテーマになりそうだ。

そして今回考察した各作品のパターンからすれば、『TENET』あたりの作品から問いが生まれている可能性もある。【時間の旅が制御できなくなったら?】といったコンセプトが採用されたりしたら、制御できない時間を飛び回らされる、『イレイザーヘッド』のようなSFスリラーになるかもしれない。面白そうだ。

この記事が、映画ファンがノーラン作品を楽しむ際に貢献できるのであれば幸だが、とはいえ今回の説も、筆者が個人的に練ってこじつけただけ。観る者によって別の「つなぎ方」を見つけられる可能性もあるため、ぜひ深々とノーラン作品を味わっていただきたい。

『メメント』リバイバル上映決定! ©2000 I REMEMBER PRODUCTIONS,LLC
圧巻のノーラン監督最新作『オッペンハイマー』は確実に大スクリーン映画 © Universal Pictures. All Rights Reserved.
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