Twitter
YouTube
Instagram
Facebook
注目トピックス
GIMME A BREAK! アメリカンTV字幕翻訳者のひとりごと[連載終了]詳細

Vol. 13. 字幕の海で「でき死」?

2001年3月9日
先日、CSのテレビ局で「洪水」に関するドキュメンタリーの字幕翻訳を担当しました。当然、「この洪水では○名が溺死」などという字幕を作るわけですが、この「溺」という字、実はちょっとクセ物なんです。みなさん、この「溺」っていう字、普通に「でき」と読めますよね? しかし、テレビ番組の場合、字幕は「溺死」とは表示できず、「でき死」としなくてはならないのです。

「でき死」なんて、一度読んだだけでは何のことだか分からないし、見た目もカッコ悪いので、私たち翻訳者としては、できれば「溺死」としたいところなのですが…「溺」という字は「常用漢字表」にないため使えません。番組によっては字幕にルビを振って対応する場合もありますが、ルビの文字は小さく、テレビ画面ではつぶれてしまって読めないこともあるので、あまり好まれないのです。また、テレビ局が持っている字幕のシステム上、ルビを振ることが最初から不可能な場合もあります。

みなさんもご存知かと思いますが、「常用漢字表」というのは「あれ?なんであの字が入ってないの?」というような字が入ってないんですよね。新聞も常用漢字表を基本としています。しかし、見出しに大きな字で「証券会社による損失補てん」なんて書かれると、なんか緊張感に欠けるような気がするのは私だけでしょうか? 「損失補填」なら「重罪!」という気がしますが「損失補てん」だと、なんとなく「てん」のところで気が抜けて、「もー、やあねえ、しっかりやってよねえ」という感じ。(ちょっと極端すぎたかな?(^^;;))

で、この常用漢字表、字幕翻訳者なら、すべて頭に叩きこんでおかなくてはならないそうなのですが(ある制作会社で実際にそう言われ、私は冷や汗をかきました)、そんなことは実際には(おそらく)不可能です。そこで、私たちがしょっちゅう使っている手引きがあります。「NHK編 新用字用語辞典(日本放送出版協会)」という本です。これは、テレビの字幕制作にたずさわる人なら、おそらくほとんどが持っていて、手あかで真っ黒になっているハズです。

この本を見ると、「俺」「奴」「嬉しい」「辛い」「諦める」「噂」なんていう、楽に読めるような文字も、ぜんぶ「使えない字」ということになっています。たとえば、こわもてのお兄さんが話してるセリフで、

「奴は嬉しがってた」

なんて言う字幕がぴったりだったとしますよね。でも、この「NHK用字用語」に準拠した漢字の使い方では、

「やつはうれしがってた」

という字幕になります。なんだかお子ちゃま風です。また、全部ひらがなの字幕は読みにくいため、避けることになっていますので、これはボツです。さらに迷惑なことに、ひらがなにすると字数まで増えてしまい、秒数に収まりきらなくなります。

こういう時は仕方ないので、せっかく思いついた字幕をあきらめて「彼は喜んでた」などという字幕にします。「奴は嬉しがってた」と「彼は喜んでた」では、ずいぶん雰囲気が変わってしまい、翻訳者はガックリです。

上記のように、このルールを厳密に守った場合、かえって読みにくい字幕になってしまうこともあるので、各テレビ局や制作会社では「NHKの用字用語を基本とするが『俺』『奴』などの常識的な漢字の使用はOK」とか「常用漢字以外でも、ルビを振ればOK」などと、独自のルールを作って字幕制作者を指導しています。

一方、劇場用映画やビデオ作品などでは、テレビほどルールが厳しくないので、一般的に読める漢字なら、常用漢字でなくても使えるようです。我々テレビの字幕翻訳者は、映画館で字幕を見ていると、つい「あー、この漢字を使えるなんて、いいなあ」とため息を漏らしてしまうのでした。

それでは、今日も「NHK用字用語」を片手に、翻訳がんばりまーす!(^_^)