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海外ドラマ・スター True Story~海ドラ・セレブの人生はドラマティック!~詳細

Vol.95 誰からも愛される、アレック・ボールドウィン

2012年10月26日
アメリカの長寿人気深夜バラエティー番組「サタデー・ナイト・ライブ」(以下SNL)のゲスト司会者を、これまで16回務めているアレック・ボールドウィン。彼はもともと正当派俳優ですが、鋭い切れ味と抜群のユーモアセンスの持ち主としても知られています。なので、旬のスターしかオファーされない「SNL」のゲスト司会者にこんなにも多く招待されているのです。

コメディアンの登竜門と言われる「SNL」。この番組が「いつでも好きな時にゲスト司会を務めて下さい」とオファーしている俳優が2人だけいます。その一人が、アレックなのです!ちなみに、もう一人はクリストファー・ウォーケンだと伝えられています。

今回もエンターテイナーとしての天才的なセンスを持つ、アレックのこれまでの道のりをご紹介します!


■ 泥沼の離婚・親権裁判を経験

2003年にウィリアム・H・メイシー主演のギャンブル映画『The Cooler』でカジノのボス役を演じ、アカデミー助演男優賞にノミネートされたアレック。しかし、プライベートでは3年前の2000年から辛い日々を送ってきました。

アレックは2000年に結婚7年目になるキム・ベイシンガーと別居。キムは翌年に離婚を申請し、2人は一人娘の親権をめぐり泥沼の争いを繰り広げ始めたのです。

キムは結婚してからずっとアレックからDVとモラハラを受けていたと激白。アレックは全て、でっち上げだと反論。キムは精神的な問題を抱えており治療が必要なこと、またアルコール依存症だと反訴しました。離婚は2002年に成立しましたが、親権裁判は2004年まで片付かずドロドロな状態になりました。


■ 「30 ROCK」はアレックをサポート

2004年にアレックは希望通りに娘の親権を獲得。養育権は共有することで決着しました。しかし2006年になると再び親権をめぐり2人は対立するようになり、2007年になるとアレックが電話をする約束だった娘が出なかったことについて怒り狂いながら残した留守電をキムが流出。

2006年からアレックは、爆発的にヒットしたTVコメディ「30 ROCK/サーティー・ロック」にレギュラー出演。これまでにないほど、幅広い層から人気を得ていた時だったので、この留守電スキャンダルは大きな波紋を呼びました。

番組も降板させられるだろうと見られており、アレックも辞めようと考えたそうですが、番組に主演し制作も手掛けるティナ・フェイは、「問題ない」とキッパリ。アレックに引き続き出演して欲しいと伝え、ほかのスタッフも全員、彼をサポートしてくれたそうです。

アレックは2008年に自叙伝「ア・プロミス・トゥ・アワセルブス」を出しましたが、その中でキムからの親権攻撃には心底参ってしまい、自殺を考えるまで落ち込んだと告白。しかし、娘のため、そして自分を信じてくれた番組のため頑張ろうと思い歯を食いしばったことを明かしました。

ちなみにアレックの娘は今年9月、留守電騒動についてのコメントを出しました。「パパはイライラするとあんな感じになるから、全然ショックは受けなかった。ハイハイ、ごめんね~って感じで」だそうで、本人は全く気に留めてなかったそうです。アレックは飛行機内で離陸前に携帯電話を使っていたのを客室乗務員にとがめられてブチ切れたこともあり、世間は彼のことを、「短気だけど、後を引かない性格」なのだという目で見るようになっています。


■ 市長選よりヒラリア

アレックは昔から政治家になる夢を温めており、ニューヨーク市長選挙に出馬する可能性を示唆し続けてきました。その思いは年々強くなり、市長選のために「30 ROCK」を降板するようなことまで言い出しました。

しかし、2010年末から26歳年下の美人ヨガインストラクター、ヒラリア・トーマスと交際を始めるようになってから、「市長になって市民を守るより、家族をしっかりと守る男になりたい」という気持ちが大きくなり、今年に入り、「市長選に出るとは断言していない」と発言。今では市長選に出ることは限りなくゼロに近いと見られています。

4月にはヒラリアと婚約、6月末には結婚。パパラッチにブチ切れることも増えてきましたが、彼女を守るため神経質になっているようです。

彼女との結婚生活を満喫しているアレック。そのため、「30 ROCK」放送終了後も俳優としての活動を積極的に続けるのかどうかは微妙だとも言われています。念願の第二子、第三子に恵まれれば、よきイクメンになることは間違いないでしょう!