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海外ドラマ・スター True Story~海ドラ・セレブの人生はドラマティック!~詳細

Vol.41 「ビバヒル」シャナン・ドハーティー 実は清楚でまじめな少女だった?

2008年1月9日
先日、3度目の離婚を申請したとしてメディアを騒がせたパメラ・アンダーソン(「ベイウォッチ」「V.I.P.」)。10月に結婚したばかりのリック・サロモンと離婚に向けて動き出しと報じられ裁判所に書類も提出したらしいのですが、元サヤに戻ったという情報も出ており混乱しています。

この渦中の人、リック・サロモンから「ビバリーヒルズ高校/青春白書」でブレイクしたシャナン・ドハーティーを連想した海外ドラマファンは多いのではないでしょうか。そう、シャナンはリックの2番目の妻だったのです。シャナンがリックと再婚したとき、お騒がせという意味でお似合いのカップルだ、と言われたものでした。

ハリウッドのダーティ・ハリーと称されたシャナンですが、実は感受性の強い繊細な女性なのです。

芸能界の父はマイケル・ランドン
1971年4月12日にテネシー州メンフィスで、銀行マンだった父と美容院を経営していた母との間に第二子として誕生したシャナン。一家は1978年にロサンゼルスに移動し、そこでシャナンは演劇に目覚めることになります。チルドレン・シアター・カンパニーで演劇を学ぶようになり10歳になる頃にはいくつかのコマーシャルに出演するようになっていました。

10歳でTVファミリードラマ「Father Murphy」に出演しテレビ・デビューを果たしたシャナン。この番組を手掛けていたマイケル・ブランドンは、彼女の秀でた演劇の才能を見出し「大草原の小さな家」に大抜擢しました。シャナンはマイケルを父親のように思い、慕い、信頼するようになります。

子供好きとして知られるマイケルはシャナンをとても可愛がり、ハリウッド女優として生きていくと心に決めていた彼女に「強い女性になるんだよ」と繰り返し語っていました。マイケルはシャナンに大きな影響を与えていますが、特にこの言葉が心に強く残ってたとのこと。そしてこの言葉通り、父親が事業に失敗し脳梗塞に倒れたときも文句一つ言わず働きまくり一家を支えたのです。

サラ・ジェシカ・パーカーと共演
「大草原の小さな家」は1984年に終了し、シャナンはTVドラマを中心に活動を続け、1985年に映画「Girls Just Want to Have Fun」への出演を果たします。後に「Sex and the City」で大ブレイクするサラ・ジェシカ・パーカー、「あなたに夢中」でエミー賞を受賞したヘレン・ハントらと共演したシャナンのことを、映画の監督は「一番真面目な娘だった」と語っています。

しつけに厳しい両親のもとで育ったシャナン。「Girls Just Want to Have Fun」が公開された頃のインタビューでは、とても礼儀正しく、清楚で明るく、ハキハキとしていました。しかし、愛らしい笑顔の裏には色々なストレスを抱えていたとのことで、彼女は「色々な役を演じることがストレス解消となっていた」と振り返っています。

事務所が進めてくれる作品に次々と出演していったシャナンは1989年、運命を大きく変える作品に出会います。

トリの言葉がアーロンを押した
1989年、三人のヘザーという名前の高校生が主人公の映画「ヘザース/ベロニカの熱い日」で、ウィノナ・ライダーやクリスチャン・スレーターという若き大物スターたちと共演したシャナン。彼女は「学校で一番綺麗な学生で、とてもスノビーな、ビッチーなヘザー」役を演じたのですが、これが大当たりしたのです。

「ヘザース/ベロニカの熱い日」が一般公開された頃、アメリカTVドラマ界のドンと呼ばれた名プロデューサーのアーロン・スペリングは、新しいドラマのキャスティングに頭を悩ませていました。何ヶ月もオーディションを続けているものの、キャラクターにぴったりくる役者がなかなか見つからなかったのです。

ある晩イライラしながら帰宅したアーロンに、娘のトリが「「ヘザース」って映画を見たんだけど、シャナン・ドハーティーって凄い役者が出ているのよ。彼女と会ってみたら?」と何気なく言いました。この言葉に押されるようにアーロンはシャナンをオーディションに招き、とんとん拍子に彼女の出演が決定したのです。

スタート時は家族のようだった
こうしてシャナンがブレンダ役として出演することとなったアーロン・スペリングのドラマ「ビバリーヒルズ高校白書」には、多くの無名新人女優/俳優が採用されていました。シャナンはベテランといった存在だったのですが、飾ることなく自然体で撮影もスムーズに進んで行ったとのことです。

ドラマは1990年10月4日に放送開始となり、たちまち大ヒットとなりました。若き主要キャストたちはパパラッチに追いかけまわされ、連日タブロイド誌を飾るようになり、プライベートもないような生活が始まったのですが、シャナンはこの時点では得に気にする様子もなかったとのことです。

1991年5月にシーズン1が終了すると同時にネットワークはシーズン2を受注。ドラマ関係者皆が喜んでいたこの時、シャナンはひどくふさぎこんでいました。芸能界の父として、絶対的な信頼を寄せていたマイケル・ランドンが膵臓癌に侵されており、状態があまり良くなかったのです。

<次回は「シャナンが荒れるようになったきっかけ」「ジェニー・ガースとの対立」などです。お楽しみに!>