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海外ドラマ・スター True Story~海ドラ・セレブの人生はドラマティック!~詳細

Vol.67 アメリカTV界を代表する女優コートニー・コックス、知られざる下積み時代

2010年4月15日
ハリウッドには「ゲストとしてならよいけれど、レギュラーとしては絶対にTVドラマには出演しない」という役者が多くいます。

一昔前のように、「映画に出られない役者がTVドラマへいく」と卑下しているわけではなく、「拘束時間が長い」「TVドラマで演じる役の印象が強過ぎて、次へ進めなくなる」などといった理由でTVドラマに出たがらない俳優が少なくないようです。

確かに大ヒットしたTVドラマの人気俳優や女優たちの多くが、次のヒットを出せず「過去の人」となってしまいますが、中にはマイケル・J・フォックスやジョニー・デップ、ジョージ・クルーニー、デンゼル・ワシントンなど、映画界でも成功を収めた人もいます。

そんな、俳優たちに続こうと奮闘し、再び成功を手に入れようとしている女優がいます。マンハッタンに住む男女6人の友情を描いた大人気シットコム「フレンズ」のモニカ役で大ブレイクしたコートニー・コックスです。

これから数回に分けて、コートニーの華麗なキャリアをご紹介します。


ニューヨークなんて怖くない!

1964年アラバマ州に生まれ育ったコートニーは、幼少時代に両親の離婚で心に傷を負いながらも兄弟姉妹に支えられ、学生生活を楽しみながら美しい女性へと成長。1982年に高校を卒業し、ワシントンDCのマウント・ヴァーノン大学へ進学します。

しかし、1年で中退。義理のいとこ(両親共に再婚し、家族がとても多い)の、「たった一度の人生。君なら成功できるはず。ニューヨークでモデルかコマーシャル・モデルとして試してみるべきだ」という強い勧めを受けて、ニューヨークへ行く決心をしたのです。

姉が心配して「ニューヨークなんて大都会。怖くないの?」と聞いたところ、コートニーは「ニューヨーク、大好き! 怖くなんかないわ!」と笑顔で答えたのだとか。

移り住んだ当時は、タレント事務所でファイリングのバイトをしチャンスを伺っていたコートニー。お金がなく、ニューヨークで出来た女友達3人と1ドルづつ出し合いトマト・キャンベルスープ缶3つ、パン1斤、バターと牛乳を購入し、クリーミー・トマトスープでお腹をいっぱいにしていたそうです。


ティーン・ロマンス小説表紙モデルに

しかし、極貧時代は長くは続きませんでした。19歳のコートニーの健康的な美貌とチャーミングな笑顔はすぐにモデル事務所の目にとまり、大手フォード事務所と契約。ファッション雑誌やランウェイ・モデルではなく、人気ティーン・ロマンス小説シリーズの表紙モデルを務めたり、全米で流れたタンポンのTVコマーシャルなどに出演しました。

これから、どういう方向で行こう、と考えていた1984年。当時人気絶好調だったブルース・スプリングスティーンの「ダンシン・イン・ザ・ダーク」のミュージック・ビデオへの出演依頼が舞い込んできました。コートニーは最初、ブルースのことをよく知らず、友人たちに「どうしよう。受けるべき?」と相談したそうです。もちろん友人らは声をあげて「ブルースなんだよ!絶対に受けなきゃ!」」と猛プッシュ。

ミュージック・ビデオでは、ブルースがコンサートで、大勢の観客の中からステージに引っ張り上げて踊る女の子、という設定で出演。「あのブルースが選んだ女の子」として注目を集め、コートニー最初のTVドラマへのレギュラー出演が決定。コートニーはハリウッドへ移りました。


TVデビュー作では超能力者を熱演

コートニーにとって実質上の女優デビュー作となったTVドラマのタイトルは「Misi Fits of Science」。超能力を持つ若くて美しい女性の物語で、コートニーは緊張しながらも大熱演しますが、番組は早い段階で打ち切りになってしまいます。

オーディションを受けては落ち、受けては落ち、の繰り返しの生活が始まった1985年。コートニーは生活のためにアルバイトをすることを決心。そのバイトとは、大学でも学んでいた趣味の建築関連の仕事でした。中古住宅を売りに出す前のリノベーションを担当したそうで、よいお金になったそうです。

ほとんどの女優は、売れない頃にウェイトレスなど接客業のバイトをします。コートニーのケースは本当にレアだといえます。

そして、1987年。コートニーの人生を大きく変えるドラマへのレギュラー出演が決定したのです!

(次回は、コートニーの「ファミリー・タイズ」「フレンズ」時代をご紹介します。お楽しみに!)